■.同期の秀一くんと“愛してるゲーム”

 私は同期に恵まれた。アカデミーへ入る前は噂で、蹴落とし合いが激しいとか、実はワンナイトラブが横行しているだとか聞いていたけれど、奇跡的に私たちの代は仲の良い関係性を築けている。こうなれたのもきっと“彼”のおかげ。ビール瓶を持つ彼の左手がテーブルへ置かれ、同じくビール瓶を持つ私の右手と触れそうになる。それだけで胸が熱くなるのに、チラリと見上げた彼の横顔はいつもと変わらない。

「てか、名前!今日は本当よく走ったな!顔、かなりキツそうだったけどよ」
「っ、え?……ああっ、本当に、ねっ」

 今日はアカデミーの試験が終わりアカデミーの皆んなで飲みに来ていた。背の高い丸いテーブルを囲み仲の良いメンバーでお酒を飲み始めて数時間。ひとしきり盛り上がった後、思い出したかのように向けられた視線に少し戸惑った。顔が熱っている。飲みすぎたからか、“彼”がずっと隣に居るからか。反応が遅れた私を、隣の彼が気にかけてくれたのが何となく分かった。

「うん、ほんと、暑すぎて、もうダメかと思っちゃった」

 だめだ。だいぶ飲みすぎてしまっている。周りの人数も数えられないくらいフワフワだ。

「ははっ、シュウも、さすがに応援してたもんな名前のこと!」

 その言葉を合図に、みんなの視線が一斉に彼へ向く。私もゆったりとした動きで、隣にいる秀一くんを見上げた。

「応援していたんじゃない、俺は名前に意識があるかどうかを確認していただけだ」
「にしては必死な顔に見えたけど?」
「名前は相変わらず、シュウに愛されてんな!」

 みんなが声を出して笑う。こうやって揶揄われるけれど私と秀一くんは恋人同士じゃない。もちろん一夜を共にしたことだって一度だってない。

 アカデミーに入った当初、体力面で周りから明らかに劣っていた私に、最初に声を掛けてくれたのが秀一くんだった。それから自然と一緒に過ごすことが多くなっていって、それを誰かが揶揄ったのがきっかけで、このジョークが生まれてしまった。現に秀一くんは眉を上げただけで、平然とウイスキーに口をつけているから、気にもしていないのが分かる。

「もぅ……それ聞き飽きたよー?」

 今ではこうやって笑って流せるけれど、初めて言われた時は受け止め切れなかった。僅かに芽生え始めていた小さな恋心が、ジリジリと焼かれていくような思い。結局私は、皆んなの雰囲気に押されてこの恋心に蓋をした。

 何より、アカデミーは卒業したらみんなバラバラになる。そもそも捜査官になるためにここにいるのに、恋なんてしている場合じゃない。

「あっ!じゃあさ、あれやんない?“愛してるゲーム”!」

 誰かが言ったその言葉に、みんなが盛り上がり始める。“愛してるゲーム”とは、隣の人に愛していると言う、ただそれだけのゲーム。無反応であればセーフ。少しでも照れたり、反応を見せたらアウト。シンプルだけど、今隣にいるのはよりによって秀一くんだ。

(えっ、待って……そんなの、)

 順番によっては、私が彼に“愛してる”と言わなくてはいけないことになる。そんなの無理だ。私は大して回らない頭で、必死に逃げる方法を考えていた。けれど今、席を離れればどうしたって変だと思われるし、その方が余計にやっかいだ。何よりみんな勘のいい捜査官候補生なのだから。

「っ、あ……」

 テーブルを囲む人が増えて、隣との感覚が狭まった。私の左腕に秀一くんの右腕が当たって、その腕がじんわりと熱いような気がして私は思わず彼を見上げる。でも視線は絡まない。お互いに薄着であるから直に温度の差を感じてドキッとしてしまうのだけど、秀一くんにとっては何てことないんだろう。

「ただし!そりゃあもう?皆さんポーカーフェイスは得意な訳ですからぁ?」
「いいねぇ、そうこないと!!」
「いこうか、ショット!!」

 みんなの空気が、さらに盛り上がってくる。同期二人が、両手にいっぱいショットグラスを持ってくるとテーブルの上にそれを並べた。でも明らかにグラスの量は、人数の倍。つまり一人二杯飲めということだ。

「あれっ、シュウ?!」

 手元に配られた二つのグラスを見て狼狽えていたら、秀一くんが一つを搔っ攫って飲んでいった。さっとライムを豪快に絞っては、空いたグラスを掲げている。

「おーい!乾杯まだなんだけどぉ?」
「二杯ばかりじゃあ、俺は負ける気がしないんでね、」

 秀一くんの挑発に、みんな盛り上がる。勢いそのままに、私もグラスを掲げてなんとか飲み干した。喉の奥が焼けるように熱い。全身の血液が湧き上がる独特の感じに、頭がくらくらしてくる。薄暗がりの中、私を覗き込む秀一くんと目が合った気がした。

「じゃあ、次、名前!お前ならやれる!シュウをやっちまえ!」

 私は誰かの声にハッとして、瞬きを繰り返した。途中の記憶が全然ないけれど、さっき“言われる側”はやったような気がする。申し訳ないけれど、ほぼ寝ていたのだから面白味には欠けてしまう展開だったのだろう。
 
(なら、言わなきゃ……秀一くんに)
 
 私はいよいよ、腹を括るようにゆっくりと横を向いた。厚い胸板がTシャツから浮き彫りになっていてドキリとする。こんなにも、顔を上げるのに緊張することはなかった。

「……っ!」

 見上げれば、秀一くんが私を見ている。それも、すごく、ちゃんと見てくれている。どうしよう言わなきゃ。そう思うのに、彼の綺麗な瞳に囚われて動けない。

 みんなはきっと、これが私の“作戦”だと思っているんだろう。長すぎるこの間も、相手を動揺させるには良い手になる。誰も冷やかしたりしないから、緊張感ばかりが高まっていく。

(まつげ……長い、)

 彫の深さも、眉のふさふさとした感じも、肌の質感も今ならよく分かる。こんなに見つめ合ったこと今までなかった。全然、目が離せない。

 そう思っていると、秀一くんが瞬きをした。それはつまり彼も今、意思を持って私を見ているということ。当然のことだけれど改めて思うと、勘違いしてしまうくらい嬉しい。

(どうしよう……やっぱり、わたし)

 どれだけ私が不自然に彼を見つめていても、秀一くんは一向に目を逸らそうとはしない。ゲームの一環だと分かっているのに、もっと見つめていたいと思ってしまう。もう周りのことも、これからの事もどうなってもいいとさえ思えてきた。だってわたしは、あなたが。

「……すき」

 この場では“愛してる”と言わなきゃいけないのに、そんなの完全に吹っ飛んでいた。でも、あなたが好き。ずっと抑えていた気持ちが今になって爆発してしまう。だって、ずっと好きで、好きで、好きだった。

「え……っ?」

 その時、秀一くんの瞳が大きく揺れているのに気づいた。秀一くんは動揺を隠すように慌てたように口を閉じると、瞬きを数回繰り返している。

 あの彼が、何をしても無を突き通せる筈の彼が反応を示した。そういうことなんだろうか。しかも秀一くんはいよいよ視線を外して、そっぽを向いている。

「えええぇぇぇぇえええ?!?!」

 この様子を見ていたみんなが、「おい見たか今の?!」「まじか!!」「シュウお前!」と叫び出す。秀一くんが負ける瞬間を見たことへの驚きと歓喜とで、今までにないくらいの騒ぎ様だった。

 私も信じられなくて、しばらく秀一くんを見つめていた。彼は何やら眉間に皺を寄せて考え込んでいる。悩まし気なその表情は、もしかして本気で、負けたことに悔しんでいるのかなとか、急に気分が悪くなったのかなとか、いろいろ考えたのだけど、次に視線が絡んだ時の彼の表情はどこか晴れ晴れとしていた。

「俺もだ」

 まだ熱の冷めやらない周りの熱気で、その言葉はほとんど聞こえていない。でも、真っ直ぐに私を見つめる秀一くんの瞳は真剣そのもの。いくら酔っているとはいえ、力強いエネルギーと共に送られてくる彼の思いを感じられないほど私は鈍感じゃない。

「俺もだよ、名前」

 今度は、さっきよりも随分とクリアに聞こえた。あんなに騒がしかった周りの声が一気に聞こえなくなる。こんな優しい声で柔らかく見つめられたら、本当に信じてしまう。

「愛している」

 その瞬間、誰かが叫んでいた気がする。でも、それもすぐに静かになった。誰もが、私の返事を待っているような、そんな雰囲気。

「これはゲームじゃない。俺も、愛しているんだ、名前」

 揶揄っているのかもと思った気持ちを、彼は早々に折っていく。どうしよう、こんなことって。

「わ、わたし、酔ってるよ……?」
「名前が覚えてなくとも、何度でも言うよ」
「……なん、で?」
「今、気づいたんだ」

 秀一くんは少し照れたように笑うと、私の頬にそっと触れた。いつの間にか近づいていた彼の身体は、私よりずっと大きい。綺麗な翡眼がもうすぐそこに迫っている。柔らかく微笑んだ秀一くんにつられて、私も笑ってしまった。

 そうして私たちは、皆んながいるのも構わずキスをした。バーの中は割れんばかりの拍手喝采に包まれていた。